個人情報保護と守秘義務
個人情報の保護に関する法律(以下、「個人情報保護法」)については、前回その概略を説明した。情報化社会における個人情報の有用性に着目して、高度利用の制度基盤を作ろうとしているという点で、個人情報保護法は、制度の基本を定める「基本法」としての性格が強い。また、規制や処罰についてはたいへん慎重なスタンスが貫かれているので、規制法や取締法であるかのような見方は誤解である。
それでは、守秘義務とは何だろうか。どのような根拠で、どのような範囲で守秘義務が課せられ、どのような制裁があるのだろうか。
法律の条文の説明は後にして結論を先にいうと、刑事処罰をされることはほとんどない。とくに、過失で情報漏洩をしたときには刑事処罰はない。故意に、正当な理由もなく、患者や利用者の秘密を漏らしたときだけに刑事処罰の可能性がある。また、民事賠償の対象になることもほとんどない。民事賠償は故意も過失も対象になるが、因果関係と損害を特定して立証することが極めて困難なため、損害賠償請求が行われる事例は現実的にはほとんど想定することができない。
医療介護に携わる者が守秘義務を考えるとき、一番大切なのは、患者や利用者の信頼を裏切らず、また社会的な信用を失わないためにはどうしたらよいか、ということである。個人情報保護と同様に、守秘義務についても、「法的問題」という言葉への根拠のない過剰反応を慎むべきと思う。
そのうえで、公的機関との関係、メディアとの関係、第三者の権利擁護との関係などを一歩踏み込んで考えると、医療介護に携わる者の倫理性と法秩序の間の微妙な緊張関係が浮かび上がってくる。
守秘義務の根拠法
刑法134条(秘密漏示)は、「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人またはこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」と定めている。保健師助産師看護師法、社会福祉士および介護福祉士法にも同様の規定が置かれている。
あらゆる罪に共通の原則は、総則規定として刑法の前の方に一括して定めが置かれている。総則規定の中でとくに重要な条文は、38条(故意)「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」である。わざとやったこと以外は処罰しない、過失でも処罰するのは、特別の規定があるときだけである、というのが刑法の大原則である。だから、刑法134条も、故意犯以外は処罰されない。
秘密とは、特定の小範囲の者にしか知られていない事実であって、これを他人に知られないことが、客観的にみて本人の利益と認められるものをいう、とされている(大塚仁・刑法概説)。患者の主観だけで秘密かどうかが決まるわけではないことに注意を要する。
また、秘密を第三者に開示するにあたっては、常に「正当な理由」があるかないかが検討されなければならない。正当な理由がある限りは処罰されることはない。
医療介護関係者の守秘義務違反について刑事責任を問う事例は稀であり、裁判例も極めて限られている。「秘密」や「正当な理由」などの文言の解釈にあたっては、刑事処罰を最後の手段(ultima ratio)とする刑法の謙抑性を十分に考慮されるべきであって、行き過ぎた刑事処罰はあり得ない。
捜査機関との関係
平成17年7月19日最高裁判所第一小法廷決定は、救急患者に対する治療の目的で、被告人から尿を採取し、薬物検査を行った事案について、「医療上の必要性があった」としたうえで、患者から承諾を得ていたと認められないとしても、医療行為として違法であるとはいえない、と判示した。また、「医師が、必要な治療又は検査の過程で採取した患者の尿から違法な薬物の成分を検出した場合に、これを捜査機関に通報することは、正当行為として許容されるものであって、医師の守秘義務に違反しない」と判示した。
この判決をご紹介すると、医療関係者からは、「意外」という反応が返ってくることがある。同意のない採尿行為が違法ではないとされていること、患者の同意なく警察に通報したことも守秘義務に違反しないとされていること、いずれも医療関係者はしっくりこない印象をもつのかもしれない。
覚せい剤については、医師にも医療機関にも通報義務はない。しかし、通報しても守秘義務には違反しない。法律は、通報を命じてもいないし禁じてもいない。法律というと「命令」か「禁止」か、どちらかしかないという誤解がありはしないだろうか。
「命令」も「禁止」もしないところに、法律の立ち入らないスペースが生じている。そのスペースこそが、「法的問題」から自由になった「倫理」の領域である。
報道機関との関係
平成24年2月13日最高裁判所第二小法廷決定は、精神科の医師が、その知識・経験に基づく、診断を含む精神医学的判断を内容とする鑑定を家庭裁判所から命じられ、そのための鑑定資料として少年らの供述調書等の写しの貸出しを受けていたところ、正当な理由がないのに、同鑑定資料や鑑定結果を記載した書面を第三者に閲覧させ、少年およびその実父の秘密を漏らしたというものである。
「第三者」はフリージャーナリストであり、鑑定結果等の資料を引用した著書を出版したとされる。メディアの取材に対応しているからといって、直ちに「正当な理由」があったとは認められないこと、また、メディア関係者は処罰されず、結果的には取材源となった医師のみが処罰の対象となっていることにも注意を要する。
千葉勝美裁判官の補足意見は、「医師の職業倫理についての古典的・基本的な資料ともいうべき『ヒポクラテスの誓い』のなかに、「医療行為との関係があるなしに拘わらず、人の生活について見聞したもののうち、外部に言いふらすべきでないものについては、秘密にすべきものと認め、私は沈黙を守る。」というくだりがある。そこには、患者の秘密に限定せず、およそ人の秘密を漏らすような反倫理的な行為は、医師として慎むべきであるという崇高な考えが表れているが、刑法134条も正にこのような見解を基礎にするものであると考える。」と述べている。
「正当な理由」は、バランス論である。メリット・デメリット、倫理と反倫理が交錯する。家庭裁判所から少年の精神鑑定を依頼されていたという状況が、裁判所の天秤を処罰の方向に傾けさせたひとつの要因にもなっていたようにも思われ、どこまで一般化できるか、どこまで個別の判断なのか、裁判所の判断の射程について、一言で解説することはとても難しい。
第三者の保護との関係(タラソフ事件など)
第三者の生命身体の保護のために、医師が自分の患者の情報を第三者に知らせてよいか、さらに、知らせる義務があるか、というぎりぎりの状況が問われたアメリカの事件として、※タラソフ事件が著名である。
精神科医が、患者から第三者の殺害を示唆され、それが誰であるかを推測することは容易であった。どの程度の具体的事実がわかっていたかによって、裁判所の判断は大きく変動するので、タラソフ事件の判断を一般化すること自体が間違いであると思われる。ただ、個別の事案の事実認定を超えて、医師の守秘義務と第三者の保護の間でどうやってバランスをとるかということが、課題となった。アメリカ国内での立法例や裁判例も、区々に分かれていると伝えられている。
守秘義務の要は「正当な理由」である。刑事処罰の範囲は極めて限られているが、それでも守秘義務を犠牲にして何を守るのか、バランス論の線引きには法的課題と倫理的課題の交錯する困難がある。
※タラソフ事件… 精神療法の際に「殺人をするつもりである」と告白した患者を医師らが通報、患者は一時は身柄拘束されたものの後に釈放され、約2カ月後に実際に殺人に及んだ事件。1969年にアメリカで起きた。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成26年8月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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