トップ背景

トップ

高齢・介護

医療

障害者福祉

子ども・家庭

知りたい

wamnetアイコン
検索アイコン
知りたいアイコン
ロックアイコン会員入口
トップアイコン1トップ |
高齢アイコン高齢・介護 |
医療アイコン医療|
障害者福祉アイコン障害者福祉|
子どもアイコン子ども・家庭
アイコン



勤怠管理システム・勤務シフト作成支援システム
福祉医療広告

高齢・介護
医療
障害者福祉
子ども・家庭

福祉医療経営情報
トップ

医療介護のリスク・マネジメント


 全12回に渡って、医療・介護の現場におけるリスクマネジメントについてお届けします。


<執筆>
弁護士・東京大学特任教授 児玉 安司


第6回:「リスク」とは何か


リスクとは「不確実性」である


 連載も半ば近くになったので、一度、リスクという言葉の意味を経済学の視点から振り返ってみたい。
 経済学の教科書には、どれにでもリスク管理(リスクマネジメント)について言及したセクションがある。例えば、次のような記述がある。
 「人生はギャンブルに満ちあふれている。スキーに行けば、転んで足を骨折するリスクがある。車で通勤すれば、自動車事故に遭うリスクがある。貯蓄を株式に投資すれば、株価が暴落するリスクがある。こうしたリスクに対しては、何としてでもリスクを回避しようとするよりも、意思決定においてリスクを考慮に入れるほうが合理的な反応である。」(マンキュー経済学・Uマクロ編・第9章ファイナンスの基本的な分析手法・2リスク管理253頁)
 「ほとんどの人はリスク回避者である。(原注:リスク回避(者)risk averse:不確実性を嫌う態度を示す(人))」
 医療介護業界で「リスクマネジメント」というとき、どこまでも安全を追及する安全管理をやらなくてはならないような誤解がある気がする。しかし、どこまで行ってもリスクはなくならない。およそ人生は不確実性というリスクに満ちあふれており、技術が進歩しても経済が発展しても、またこれほど医療の質や医療へのアクセスも向上しても、医療の不確実性=リスクはかわらず存在する。
 リスク回避者というのは、事故や失敗を嫌う人、という意味ではなく、不確実性を嫌う人、という意味であることに注意を要する。多くの人は、どうなるかわからない不確実な選択より、どうなるかわかっている選択を好む。しかし、「個人が全般的には危険回避的であるということは、ある状況において彼らがリスクを楽しむ、つまり危険愛好的risk lovingであるという事実と矛盾するわけではない。」(スティグリッツ・ミクロ経済学・補論 リスクおよびリスクに対する態度567頁)
 これらの経済学の教科書のなかでは、リスク、危険、不確実性などの言葉が、ほとんど同義語として使われている。未来に何が起こるかわからない不確実性をリスク・危険としてとらえている。不確実性は排除する対象ではなく、保険、リスク分散(投資対象を分散して、卵をひとつのかごに盛らないようにすること)、リスクと利益のトレードオフなどによって対応していく対象である。
 不確実なのは医療だけでない。人生に満ちあふれるリスク=危険=不確実性に対して、そのコストをどのように分担していくか、自助・互助・共助のさまざまな仕組みを工夫していくことは、リスクマネジメントの重要な一部である。

リスク対応と保険の役割


 リスクへの対応と保険についてもう少し考えてみたい。
 交通事故の危険に対応するためには、加害者となる可能性のある車両の所有者等が保険に加入して、事故の際の賠償金の支払いに備え、火災等の危険に対応するためには、被害者となる可能性のある家屋の所有者等が保険に加入して、火災等が発生したときに保険金によって損害が填補されるようにしている。
 法制度と保険の仕組みは、表裏一体となっている。自動車事故を起こしたとき、加害者が民事の賠償責任を負うかどうかについて「過失の有無」はほとんど議論されることがない。自動車損害賠償保障法3条は、「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。」と定め、無過失が立証できたときや欠陥車の立証ができたときなど、限られた例外を除いて運行供用者に厳しい損害賠償責任を課している。
 加害者となったら責任を免れることができない法制度になっているので、自分は運転がうまいからといって保険に入らない人はいなくなり、年間数兆円にも及ぶ賠償のための資金が蓄積され、被害者救済に活用されている。
 火災においては、交通事故とは逆に被害者になる可能性のある者が保険に入る仕組みになっている。失火ノ責任ニ関スル法律(明治三二年三月八日法律第四〇号)は「民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス」と定め、失火の場合は、過失があっても加害者は賠償責任を負わず、重過失があったときのみに賠償責任が限定されている。
 一軒の家の失火から周囲の家が類焼しても、例えば倒れかけたろうそくを放置して外出したというような重過失でもない限りは、滅多なことでは火元に損害賠償を請求することができない制度になっている。その結果、被害者は自ら保険に入って未来のリスクに備えている。
 医療の合併症、介護現場での転倒・転落など、医療介護をめぐって常時生じるリスクを誰がどのように経済的に負担するかについては、「過失責任主義」、つまり、過失があるときには医療介護施設が賠償責任を負い、過失がないときには誰も賠償しないという制度になっている。自動車賠償のような加害者負担でもなく、火災のような被害者負担でもない。
 なお、周産期医療に起因する脳性まひというごく限られた分野についてではあるが、医療従事者・医療機関の過失の有無を問わず補償を行う産科医療補償制度が2009年から導入された※。

※…公益財団法人 日本医療機能評価機構
http://www.sanka-hp.jcqhc.or.jp/outline/system.html

リスクとコスト


 リスクの大小をはかるひとつの尺度として、標準偏差があげられる(マンキュー経済学568頁)。標準偏差、すなわち、ばらつきを小さくすることは、品質管理においても目標になる。例えばネジは、太いものも細いものも、長いものも短いものも必要であり、どれがよいとは言えないが、ひとつの種類のネジは、ばらつきが小さい方がよい。径と長さとネジのピッチなどの指標が、スペックの求める値を平均値として小さな標準偏差でまとまっているのが望ましい。医療介護の標準化はプロセス・手順の管理が中心になっているが、品質管理・精度管理の発想に大きな影響を受けている。
 ただ、ばらつきを小さくするというだけでは、医療における安全・安心という目標を具体化する指標とはいえないのが悩みである。事故数や合併症数は、ハイリスク医療を行う大規模の医療機関ほど大きくなるので、施設を超えた比較は行いにくい。HSMR(Hospital Standardized Mortality Rate)は、患者の年齢や性、疾患名や入院時の状況などによって補正を行った数値を比較の指標として提案するものであるが、普及は未だ緒に就いたばかりという状況である。
 ひとつの手術に着目しても、どのような確率でどのような損失が生じる可能性があるのか、どの施設を選択するかによってどのような変動が生じるのか、基礎データは混とんとしている。
 かけがえのない自分や親族の生命や健康にかかわることだから、たくさんのバスケットに卵を分散するというような、投資のときのリスク分散の考え方も使いにくい。ハイリスクの投資を行えばハイリターンを得られるとすれば、リスクと利益のトレードオフが成り立って投資家のインセンティブとなるのだが、手術のハイリスクは予後のハイリターンを意味することはかえって少なく、医療ではハイリスクとハイリターンのトレードオフが成り立たないことも多い。
 また、医療介護のコストは社会保険を通じて社会的な互助のもとにある。個々の患者が医療介護サービスの価格と得られる便益のバランスを考えるのは、自己負担分という限られた範囲にとどまっている。
 医療のリスクを考えるとき、経済学的なモデルの手が届きやすそうに見えるコストの問題については、社会的合意と公共性が前景に出てくるために困難が生じるし、人の生命や健康についての損失の可能性を金銭に換算してモデル化することも難しい。ただ、医療介護サービスの利得と損失を個々にアセスメントしようとする動きは次第に強まっている。

※ この記事は月刊誌「WAM」平成26年9月号に掲載された記事を一部編集したものです。
月刊誌「WAM」最新号の購読をご希望の方は次のいずれかのリンクからお申込みください。

ページトップ