被災福祉施設復興事例紹介
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▲ 特別養護老人ホームうらやす等施設外観 | ▲ 外壁に設置された記念碑 |
社会福祉法人みずほは平成7年、「ゆりあげ漁港」の「ゆりあげ港朝市」でも賑わう宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区に設立されました。平成8年には、特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、在宅介護支援センターを開設、平成18年には、グループホーム、ケアハウスを併設するなど、地域のニーズに応じて新たな事業所を開所し、事業展開を行ってきましたが、沿岸から1kmほどの場所にあった特別養護老人ホームうらやす、隣接するケアハウス、グループホーム、デイサービスセンターの施設・建物は、東日本大震災の津波により全壊。利用者・職員あわせて47名の方が犠牲になるなどの甚大な被害を受けました。
▲ 旧 特別養護老人ホームうらやす等施設外観と震災時職員数 | ▲ 旧 特別養護老人ホームうらやす等施設外観と震災後(3/13)職員数 |
幸いにして、避難できた利用者と職員の方は、一緒に系列の特別養護老人ホームや老人保健施設に移ることとなりました。避難先となった系列の施設では、もともとの居室面積を基準よりも広めに確保し、居室にナースコールを2つ設置していたため、1つの部屋にベッドを2台置くことができました。
定員超過ではあるものの、慣れ親しんだ職員が避難先の施設でサービス提供を行ったため、「利用者も落ち着きを取り戻した生活を行うことができた」(施設長佐々木さん)とのことです。
避難先の施設では、従来の職員のほかに、被災した施設・事業所の職員も加わりましたので、利用者に比べて手厚い職員配置にはなりましたが、経営する事業が大幅に縮小し、収入が減少する中での職員の雇用の維持は、法人の事業経営を圧迫することにも繋がりました。
このような状況を一刻も早く解消するためにも再建に向けて動き出します。
再建計画の大きな柱の2つに「利用者と職員を守る施設」、「防災拠点になりうる施設」があります。
「利用者と職員を守る施設」ということでは震災を振り返ったときに、もし建物が「沿岸部でなかったら」、「隣接する施設間が繋がっていたら、堀で分断されていなかったら」もっと被害が少なかったのではないかとの思いや、今後同じような震災が職員の手薄な夜に発生したとしたら、誰も守れないのではないかなどの思いから、新施設は「立地と構造」が重要と判断し、また、「防災拠点になりうる施設」ということでは、「一時避難」、「1次避難」、「2次避難」場所になりうる施設として福祉避難所を想定し、計画が進められました。
▲ 自家発電装置。施設全体の電力を3日間分発電できる。節電すれば1週間分もつとのこと。エレベーターは停電しても利用できる。 |
再建資金については、国からの補助金以外に、福祉医療機構の災害復旧資金19億5千万円弱の融資を利用しました。被災後、福祉医療機構の役職員が現地を訪れ、融資を実行するという連絡をもらったこと、その対応が施設の早期復旧に繋がったとのことです。
完成した施設では、“ピカピカの”新築の施設だと、利用者の方が馴染みにくいのではないかとの思いから、「大正ロマン」をテーマに、新しさの中にも、どこか懐かしく居心地の良い空間となるようにも設計されています。
象徴的な場所の1つは、玄関を入ってすぐの広いロビーです。高い天井に大きな梁を置くことで、落ち着きのある空間を創っています。また、この梁は3.11のときに使えなくなった日本家屋からもらってきた梁とのことで、「3.11をいつまでも忘れずにいたい」(施設長佐々木さん)との思いも込められています。
同じロビーには、シンボルのように時計も設置されています。「私たちの時計は、3.11で針を止めた感じです。そこから時計を進めていこうという思いで設置しました。」(施設長佐々木さん)。
▲ ロビー。時計と天井に設置された大きな梁がある。 |
同法人は、施設が復興することで、名取市の全体の復興の促進に繋げたいという思いもあり、閖上地区の復興方針の決定に先駆けて、事業再建に向けて動き出しました。
今後は、特別養護老人ホームうらやすが地域の復興・安心のシンボルとなって、閖上地区復興の時計の針も益々進んでいくことでしょう。
法人名 | 社会福祉法人みずほ | 理事長 | 森 精一 氏 |
法人施設 | 特別養護老人ホームうらやす、ショートステイ、デイサービスセンターときわ、在宅介護支援センターちとせ、ケアハウスうらやす、グループホームうらやす(認知症対応型、共同生活援助) | ||
旧施設所在地 | 宮城県名取市小塚原字遠東1番地2号 | ||
新施設所在地 | 宮城県名取市下余田字鹿島86−5 | ||
福祉医療機構融資額 | 1,948,100千円 | ||
法人設立時期 | 平成7年7月 | 施設再建時期 | 平成25年9月 |