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被災福祉施設復興事例紹介
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〜 岩手県 大船渡市 〜

社会福祉法人成仁会

「特別養護老人ホーム富美岡荘」の復興事例紹介

取材日 平成26年8月22日
東日本大震災により、死者340人、行方不明者79人、半壊以上の建物3,937棟といった被害を受けた、岩手県大船渡市(出典:大船渡市ホームページ【平成26年3月31日現在】)。 その大船渡市猪川町の小高い丘の上に拠点を構え、長年、地域の福祉を支えてきた特別養護老人ホーム富美岡荘。現在建設中の特別養護老人ホーム成仁ハウス「百年の里」への定員の一部移行が予定されている。震災から3年が経った現状を取材した。

被災地域と施設所在地マップ



※浸水区域データの出典:国土交通省都市局『復興支援調査アーカイブ』データ


受け継がれる「相手の幸せを心から願う姿勢」

  社会福祉法人成仁会は昭和51年1月、医師であった山崎 伊一郎さん(初代理事長)の「相手の幸せを本心から願う姿勢」を原点に、岩手県大船渡市に設立されました。同年5月に特別養護老人ホーム富美岡荘、平成5年に盲養護老人ホーム祥風苑、平成12年には富美岡荘介護センター(訪問介護、居宅介護支援事業)を開設、その他にも大船渡市を中心に多数の事業を展開してきました。
 開業医時代、呼ばれれば24時間365日いつでも往診に向かい、困っている人がいたらどんな人にでも手を差し伸べていたという初代理事長の精神を、現会長を筆頭に職員一人一人が受け継ぎ、相手の立場に立って相手に寄り添う、利用者第一のケアが創設以来行われてきました。

▲ 特別養護老人ホーム富美岡荘外観 ▲ 成仁会創設者・初代理事長 山崎 伊一郎さん像

富美岡荘・祥風苑、2施設への避難者全員の受け入れ

 3月11日の地震発生時、会長や理事長、富美岡荘施設管理者らは仙台市で開かれていた関連法人の役員会に出席していました。そのため、富美岡荘に隣接する盲養護老人ホーム祥風苑の施設長である小松さんは利用者の安全確保や避難所としての2施設のあり方等といった様々な難しい判断、決断を迫られることとなりました。これまでの会長の立ち振る舞いや言葉に間近で触れてきた、小松さんをはじめとする施設職員は、利用者を守り、かつ避難者を受け入れることへの迷いはありませんでした。日頃の避難訓練や職員同士の意識共有の成果もあり、各自的確に動き、連携を図ることができました。
 震災翌日、道路規制や渋滞を乗り越え、富美岡荘に辿り着いた会長、理事長は「成仁会災害対策本部」を設置し、「富美岡荘への避難者は全て受け入れる。」という方針を打ち出しました。そして職員全員が一丸となって対応することを誓い合い、被災者受け入れにあたっての様々な対応を行いました。例えば、被災した人が避難場所として気付き、やって来られるように、高台に建つ富美岡荘を投光機で照らしたのもその一つです。電気が完全にストップした真っ暗な大船渡に灯った一点の光を見た被災者からは「心の支えになった。」との声がありました。また、ラジオを通じて、富美岡荘で被災者の受け入れをしていることを伝えたりもしました。そういったこともあり、一般の避難者や介護が必要な方、津波で被災した近隣施設の特別養護老人ホームさんりくの園の入居者等といった被災者が次々と訪れました。一時、通常の定員を大幅に超えた約500名もの避難者を2施設で受け入れることとなりました。
 利用者の食事は全国チェーンの業者に委託していたため困ることはありませんでしたが、避難者の食糧を確保する必要もあったため、野菜の室(むろ)(畑の一角等に造られた、収穫物を長期間保存するための天然の貯蔵庫)がある畑を畑ごと買う等、考え付くできる限りの策を実行に移しました。非常時にあっても最大限の努力ができたことは役職員の意識の高さの表れといえるでしょう。


▲ 富美岡荘に隣接する盲養護老人ホーム祥風苑

被災したこと、避難所となった経験から得たもの

 富美岡荘は高台にあるため津波の被害は受けなかったものの、地震により地盤沈下や配管損傷による水漏れ、煙突等の損傷、施設内・外壁等に多数の亀裂ができる等の被害を受けました。富美岡荘に隣接する祥風苑も同様の被害を受けています。富美岡荘の修繕にあたっては、福祉医療機構の災害復旧資金5千万円を利用しました。
 震災発生後、福祉医療機構の長野理事長は被災した福祉施設に直接赴き、ヒアリングを行っていました。そういった対応に対し、理事長は「福祉医療機構の理事長自ら足を運んでくれるなんてとても驚いたし、何をしてほしいかを聞かれたのは初めてだった。早急な対応に涙を流して喜びました。」とのことでした。
 被災後、富美岡荘は避難所となった経験も踏まえ、入居者、職員だけでなく地域住民の受け入れも考慮に入れた食糧、備品(毛布、衛生用品)等の備蓄の強化を行いました。そして職員全員に携帯用ヘルメット、手動充電器の配布を行い、スクーター、発電機、衛星電話や井戸手押しポンプ等も購入しました。
 また、震災後の治安の悪化を受けて、近隣地域内だけでなく、広域連携の重要性をあらためて認識したそうです。大きな災害が発生したときには地域全体が疲弊してしまうため、他県の法人等との日頃からのネットワーク構築が緊急時に役立つとの考えです。

▲ すぐに持ち出せるように準備された入居者分のヘルメット


障害者や外国人といった多様な人材を採用

 人員配置基準は満たしているものの、もっと十分なケアを行うには人材が不足しているということもあり、障害者や外国人も含めて数名採用を行っています。現在、障害者やフィリピン、韓国出身の外国人が数名働いています。
 フィリピンや韓国出身の職員の方は宗教上やお国柄もあってか家族や目上の人をとても大切にするようで、高齢者への接し方も物腰柔らかく、業務もきちんとこなして戦力となっています。初めは、外国人ということで利用者に受け入れられるか多少不安がありましたが、心配には及びませんでした。優しい声かけは国境を超えることを実感し、今後も積極的に採用していきたいとのことでした。しかし、唯一課題となっているのが「漢字」です。話すことに関しては特段問題はありませんが、記録をつける際や資格取得時に漢字の読み書きが障壁となってしまいます。

成仁ハウス「百年の里」、“日本一の施設”へ

 現在、富美岡荘から車で10分ほどのところに特別養護老人ホーム成仁ハウス「百年の里」を建設中です。これまでの多床室のケアからユニットケアへ移行します。この施設を建設するにあたっては、福祉医療機構の災害復旧資金を12億円利用しました。利用者のより良い生活を確保するため、半壊状態となった富美岡荘の定員111名のうち81名を百年の里に移行予定です。定員移行後の富美岡荘は、特別養護老人ホームとしてだけでなく、備蓄保管場所としての役割も果たすことになっています。
 成仁ハウス「百年の里」は、特に建物の構造面で地震や災害に強い施設づくりがなされています。例えば、震災時にまっすぐ縦に細長い建物が大きく揺れ、歪んだことを受けて、建物の2、3階部分は揺れに強い十字型の造りにしました。この十字型の造りは職員同士の連携をよりスムーズにすることにもつながるとのことで、「完成すれば日本一の施設となる。」と理事長は自信たっぷりにお話ししてくださいました。
 日々のケアを行う中で得られた記録をデータベースとして蓄積し、「ケアの科学性」を追求してきた富美岡荘。制度や情勢が変わっても創設者の精神を受け継ぎ、個人の尊厳を守り、そして相手の幸せを心から願う利用者第一の姿勢、ケアは変わりません。今後も大船渡の福祉を支える中心的施設として大きな役割を果たしていくことでしょう。

▲ 新たに建設中の特別養護老人ホーム成仁ハウス「百年の里」


<< 法人概要 >>
法人名 社会福祉法人成仁会 理事長 山崎 和彦 氏
法人施設 特別養護老人ホーム富美岡荘、盲養護老人ホーム祥風苑、大船渡市デイサービスセンター、富美岡荘介護センター(訪問介護、居宅介護支援事業)、地域密着型介護老人福祉施設蔵ハウス大船渡、グループホームまちぐるみ、大船渡北地区サポートセンター「とみおか」、特別養護老人ホーム成仁ハウス「百年の里」(建設中)
施設所在地 岩手県大船渡市猪川町字冨岡148番地
福祉医療機構融資額 50,000千円
法人設立時期 昭和51年1月 施設開所日 昭和51年5月
URL http://www.seijinkai.hello-net.info/


取材動画


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