第8回:認知症入居者の異食〜誤嚥による死亡事故と賠償責任C〜
事案の概要
A(死亡時78歳)は、平成7年頃、多発性脳梗塞を発症し、その後、認知症の症状が現れてきたため、Yが設置・経営する特別養護老人ホームBのデイサービスやショートステイを利用していた。平成16年2月1日、AはYとの間で、介護老人福祉施設利用契約を締結し、同日Bに入居した。
Aには食物以外のものを口に入れる異食癖があり、Bに入居後も多数回にわたり、尿取りパッド、おむつ、紙パンツ、ガーゼ、薬の袋、便、湿布等を口に入れる異食行為に及んだ。その中には、異食したものを取り出した後、酸素吸入の措置が採られたこともあった。Bから入所者親族に定期的に送付される「苑だより」には、この件につき「紙オムツを食べてしまい、吸引等行いました。」と記載したことがあったものの、X1(Aの子)から特に連絡はなかった。
Aは、平成17年6月11日、疥癬(かいせん)に感染していると診断された。Bでは、Aを4人部屋から個室に変更するとともに、湿疹の悪化と他人への感染を予防するため、紙おむつを使用し、併せて、紙おむつの異食を防ぐため、介護服を着用させることにした(K県福祉事務所長が発出した「施設内における疥癬の予防対策について」と題する通知〔本件通知〕では、疥癬の感染者に対して紙おむつを着用するよう求めていた)。
同月20日午後4時15分頃、Bの職員が居室を訪れ、おむつ等を交換した。午後5時45分頃、Aは居室内で誤嚥により喉を詰まらせているところをBの職員Fに発見された。Bでは、Fの連絡を受けた准看護師Jなどが口の中の紙おむつ等の掻き出し、心臓マッサージを行う一方、119番通報を行った。Aは救急車でE病院に搬送されたが、同日午後6時42分死亡した。Aの死因は誤嚥による窒息と診断された。
以上の事実関係の下、Aの相続人であるX1・X2(孫)・X3(孫)がYに対し、不法行為又は債務不履行に基づき損害賠償を求めたのが本件である。
判決 【請求一部認容】
1 「ショートステイサービス利用時から本件事故に至るまでAは紙おむつ等を含む種々の物を何度も口に入れるという異食行為に及び、重大な結果になりかねないこともあったのであるから、Yにおいて、Aに紙おむつ等を使用した場合に同人がこれらについて異食行為に及ぶ危険性については十分に認識していたことが認められる。
しかしながら、前記認定のとおり、本件事故前、Aは疥癬に感染していたのであって、Bにおいてこれに対応する必要があったところ、本件通知の存在及び異食行為を防止するために介護服を使用することとしたことを勘案すれば、湿疹の悪化及び他人への感染を予防するために、Aの居室を個室に変更した上、紙おむつ等を使用することとしたのはやむを得ない措置であったということができ、本件事故当時、YがAに紙おむつ等を使用していたこと自体をもって、同人に対する安全配慮義務の懈怠を認めることはできない。」
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2 「上記陳述どおりに介護服のファスナーが完全に閉められていたとすれば、そのままでファスナーを開けて紙おむつ等を取り出すことができないのが本来の介護服の構造であって……Aが当時78歳で一人では起き上がることができなかったことにもかんがみると、同人が故障がなく完全に閉じた状態のファスナーをこじ開けたことは、全くあり得ないことではないとしても、その可能性は相当に低いものといわざるを得ない。」
「Aが介護服の下に着用していた紙おむつ等を取り出すことができたのは、ファスナーの閉め方が不十分であったりファスナーが故障していて容易にファスナーが開く状況にあったか、生地の劣化があって介護服が破れたといった介護服の使用方法が不適切であったことが原因である蓋然性が高いというべきであって、本件事故はこのような介護服の使用方法が不適切であったことによって発生したものと推認するのが相当である。」
3 以上の判断を前提とした上で、Yは「故障や劣化がないかどうかを点検して、そのような不具合のない介護服を着用させ、ファスナーを完全に閉じることによって、Aが紙おむつ等を取り出すことがないよう万全の措置を講ずる注意義務を負っていた」のにこれを怠り、本件事故に至ったものであるとして、不法行為に基づくAの慰謝料として1500万円等の損害賠償請求を認容した。
(さいたま地裁平成23年2月4日判決〔判例集未登載・裁判所HP登載〕)
【解説】
1 はじめに
本件は、本連載第1回から第3回で取り上げた食物の誤嚥と異なり、認知症入居者の異食による誤嚥の事案である。認知症介護における身体拘束のあり方や、施設側の事故対応のあり方を考えるにあたって参考になる一事例と思われるので今回取り上げることにした。
2 紙おむつの使用
判旨1では、異食癖のある認知症入居者に紙おむつを使用したことが安全配慮義務違反にあたるかにつき、疥癬への感染、本件通知の存在、介護服の使用という事情の下で、義務違反はなかったとした。本件通知は県レベルのものであるが、同様の通知が発出されていない他県での同様の事案でも、結論は基本的に異ならないと思われる。
ここでは介護服の使用が安全配慮義務違反を否定する一事情として勘案されている点に留意する必要がある。
3 介護服のファスナーの閉め忘れ等について
おむつはずし等を制限するためのつなぎの介護服の使用は、厚生労働省「身体拘束ゼロへの手引き」によれば、身体拘束禁止の対象となる。ただし本件では、先に述べたように、介護服の使用が身体拘束との関係で適切か否かという観点からは問題とされていない。おそらく疥癬への感染という特殊事情にかんがみてのことであろうが、判旨3のように、本件状況の下で介護服を着用させる以上は、「故障や劣化がないかどうかを点検して、そのような不具合のない介護服を着用させ、ファスナーを完全に閉じることによって、Aが紙おむつ等を取り出すことがないよう万全の措置を講ずる注意義務を負っていた」のにこれを怠った点に過失を認めたのである。
Yは、本件事故当時Aが着用していた介護服を、すでに処分され現存しないとして証拠として提出しなかった。証人によれば、本件事故直後に本件施設にあった介護服をすべて廃棄したとの供述がなされている。裁判所は、本件事故の発生の原因にかかわる最も重要かつ客観的な資料がない中で、判旨2にあるように介護服の使用方法が不適切であったと認定したのである。本来的に過失の存在は被害者側が主張・立証しなければならないところ、本件では証拠隠滅と取られてもやむを得ないYの行為により、事実上立証責任が転換されたに等しい結果を招いたといえる。その背景には、Aのために使用した介護服は購入時から6年以上経過したものであったこと(介護服の耐用期間は毎日洗濯して2年程度であり、それ以上経過すると生地が破れやすくなる旨認定されている)、福祉保健総合センター長あての事故報告書でも、関係者から詳細な事情聴取を行った形跡がなかったこと(杜撰な報告書であることが推認される)といった本件固有の事情もあると思われる。
いうまでもなく、ケアプランをはじめとする書類を事故後に改ざんしたり、証拠物を隠蔽するといったことがあってはならない。そうした体質をもつ組織と、日常的な入居者・家族との信頼関係の構築や、入居者に係る(リスク情報を含む)情報の共有といったリスクマネジメントの基本は、およそ相容れないものと言わざるを得ない。
4 その他の争点
本連載で以前取り上げた食物誤嚥の事案では、誤嚥事故に至るまでの対応と、事故後の救急救命措置の適切さが施設側の過失の有無を判断する際のポイントであった。本件でもXは、巡視義務違反、救急救命活動のための職員監督義務違反を主張している。しかし3で述べたとおり、裁判所は別の争点につきYの過失を認めたため、これらの点については判断を示さなかった。仮に介護服を着用していない事案であったならば、個室に移した上で紙おむつに変えたとの本件事情の下ではなおさら、これらの争点がクローズアップされたことであろう。
身体拘束が認められるか否かが正面から争われた事案は、次回取り上げたい。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成24年11月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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