事案の概要
A(大正8 年生まれ)と、有料老人ホームを運営するY(株式会社)は、平成20 年2 月16 日、有料老人ホーム入居契約、特定施設入居者生活介護・介護予防特定施設入居者生活介護利用契約を締結した。A は、Y に対し、本件契約に基づき、入居一時金として入会金70 万円および入居保証金290 万円を支払い、同日、Y が運営する有料老人ホーム(本件ホーム)に入居した。
平成22 年6 月11 日、A の仙骨部に皮膚剥離(0.3×0.5、0.6cm 程度)が認められた。
A の同年9 月29 日付け介護日誌には、同日午前中A の仙骨部に1cm 程度の褥瘡を認めた旨、別の入所者が同日運動会を欠席した旨の記載があった。
同年10 月12 日、A の臀部表皮に剥離と出血が認められた。また同月29 日、A に1cm 程度の仙骨部表皮剥離とその周囲が黒くなっているのが認められた(同日、Y が本件ホームにおいて運動会を実施した旨が認定されている)。
同年11 月5 日、臀部の皮膚状態の悪化が認められ、A はH クリニック皮膚科を受診した。Hクリニックの医師は、診察のうえ、直径5〜6cm で全体的に皮膚が壊死し、皮下にポケットを生じている褥瘡を認め、一部壊死した組織を全体的に除去することができず少しずつ除去するという治療方針を立てた。
A は、同月7日にも、臀部の皮膚状態の悪化が認められた。同月8 日、A はH クリニック皮膚科を受診し、同クリニック医師は、壊死組織が拡大していると診断し、壊死組織の一部を除去した。
A を回診した医師は、同月9 日、翌日入院を前提にA をS 総合病院に受診させるよう指示した。
同月10 日、E クリニックの医師は、S 総合病院医師に宛てて、A について臀部褥瘡を発症し食欲不振である旨の診療情報提供書を作成した。同日、A はS 総合病院内科を受診した。同病院の医師は、同月12 日、上記診療情報提供書に対し、A に高度の炎症を認め、褥瘡の措置を入院のうえ施行する旨を返答した。
A は、平成23 年7 月21 日死亡した。
以上の事実関係の下、A の遺族であるX が、Y に対し、A が仙骨部に褥瘡を発症したのは、平成22 年9 月29 日頃であるとしたうえ、Y は、A につき褥瘡・尿路感染症の発症を予防する注意義務および医療機関を受診させる義務等に違反したと主張し、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償等を請求し、提訴に及んだ。
《判決》 【請求棄却】
1 A が褥瘡を発症した日について
「A の平成22 年9 月29 日付け介護日誌には、同日午前中A の仙骨部に1cm 程度の褥瘡を認めた旨の記載があるが、A が入所していた本件ホームで運動会が開催された日は同年10 月29 日であり、上記介護日誌は誤った作成日付を記載したものと認められ、そうすると、Aが褥瘡を発症したのは、1cm 程度の仙骨部表皮剥離とその周囲が黒くなっているのを認めた前同日(平成22年10 月29 日)であると認められる。」
2 Y の注意義務違反について
「Y は、A の臀部を観察して異常を認めた際、適宜に専門医を受診させており、Y にA を専門医に受診させるべき注意義務に違反したとは認められない。A がS総合病院に入院した上褥瘡の治療を受けることとなったのは、平成22 年10 月29 日に仙骨部表皮剥離とその周囲が黒くなっているのを認め、同年11 月5 日にHクリニックを受診したが、同クリニックにおける治療が奏功しなかったためであると窺われる。
よって、…X の主張のうち、Y が専門医を受診させる注意義務に違反したという主張は、理由がない。」
「Y がA の臀部を観察して異常を認めて皮膚科を受診させたことは……判示したとおりであり、臀部を観察しなかったとは認められない。」X の主張は、「Y のサービス計画書や看護日誌等、介護記録に、必ずしもX 主張の頻度では体位交換やオムツ交換を行った旨がないこと、本件ホームに入所する前に発症していたA の褥瘡がその後改善したのに上記のとおりA の褥瘡が再発したことに由来すると窺われるが、Y が、A につき適時に体位交換やオムツの交換、栄養状態の把握や維持改善を行わなかった具体的形跡は見当たらない。その他、A が尿路感染症を発症したことについて、Y の注意義務ないしその違反を根拠付ける的確な事実の主張はなく、かつこれらを根拠付ける的確な事情も見当たらない。
以上によれば、Y がX 主張のその余の注意義務に違反したとは認められない。」
(東京地裁平成26年2月3日判決〔判例時報2222号69頁〕)
【解説】
1 はじめに
本件は、有料老人ホームにおいて入居者に褥瘡が生じた事案につき、ホーム運営会社の注意義務違反が問われた裁判例である。同義務違反が否定された事例として、事案としての意義がある(地裁判決で確定)。その他、入居時一時金の返還についても争われており、有料老人ホーム固有の紛争事案という側面も有している。
2 注意義務違反
本判決では、Aが褥瘡を発症した時期について争いがある。〔判旨〕で述べたように、裁判所は、X主張の根拠となった同日付介護日誌の作成日付の記載(平成22年9月29日)が誤りであったと認め、その1カ月後(同年10月29日)であると認定した。そのうえで、〔判旨〕で述べたように、YはAの臀部を観察して異常を認めた際、適宜に専門医を受診させており、注意義務違反はないと判示した。
しかし本判決では、10月12日、Aの臀部表皮に剥離と出血が認められたものと認定されている。その後の本件ホームでの処置がどうであったか、判決文では何も認定されていないものの、気になるところである。
このこととも関連して、Xは、Yが2時間おきの体位交換を行わず、オムツの交換も行わず患部の清潔を保持せず、客観的なデータに基づいた栄養状態の把握や維持改善を行わず、臀部を観察しなかった点に注意義務違反があったとの主張を行っている。
この点につき、裁判所の認定事実によれば、F診療所の医師が、本件ホーム入所に先立つ平成19年12月17日、Aが右大転子部4pポケット形成V度・左大転子部U度の褥瘡を発症していると診断したとされている。このように、褥瘡の既往歴がある高齢者に対しては、その再発を防ぐためのケアが介護者に求められる。
しかし本判決では、入所時にAないしXからYへの情報提供がなされたのか、Yがアセスメントのなかでその事実を把握したのか等につき、判断は示されていない。
本判決は、〔判旨〕のように述べ、適時の体位交換やオムツの交換等を「行わなかった」形跡は見当たらないし、Aの尿路感染症発症について、Yの注意義務ないしその違反を根拠づける「的確な事実の主張はない」とし、注意義務違反を否定した。
そもそも介護者には、医師に受診させる注意義務違反の問題以前に、褥瘡の再発防止に係る介護上の注意義務違反が問われ得るといわねばならない。にもかかわらず、この点につき裁判所がXの主張を斥けたのは、Xが、YのAに対する日常的な介護の不適切さを立証することができなかったことによるものである。誤嚥や転倒・骨折といった突発的な事故と異なり、褥瘡といった日常的なケアの積み重ねにより生じる疾患に係る注意義務違反を立証することの困難さを示しているように思われる。
ただし、先述のように、10月12日、Aの臀部表皮に剥離と出血が認められたというのであるから、少なくともこれ以降、適切な介護を行ったことの立証責任はYが負うべきではないかとの疑問が生じる。
3 入居時一時金について
Xは、Yに対し、入居時一時金(入会金および入居保証金)の返還請求を行った。介護保険施設と異なる有料老人ホーム固有の争点といえよう。この点につき、本判決は、「権利金の受領を禁じた老人福祉法29条6項の規定は、施行日(平成24年4月1日)の前日までに旧老人福祉法29条1項の規定による届出がされた同項に規定する有料老人ホームについては、平成27年4月1日以後に受領する金品から適用するとされており」、「本件契約に基づきYが受領した入居時一時金に老人福祉法29条6項は適用がないことはそもそも明らかである」ことに加えて、「同条同項が受領を禁止する権利金その他の金品に相当するものと必ずしも認められない」と判示している点は、今後の参考になろう。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成26年11月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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