第10回:夜勤帯での転倒回避義務〜骨折事故と賠償責任B〜
事案の概要
X(事故当時78 歳)は、平成20 年5 月29 日、老人保健施設(本件介護施設)との間で入所利用契約を締結して入所し、2 階の一般棟に入った。Xは入所時、杖を使って少しよろけながらも一人で歩けるが、見守りが必要な状態にあった。A 病院医師作成の診療情報提供書によれば、パーキンソン病で重症度分類3(両側に症状があり、前屈姿勢、小刻み歩行がみられ、日常生活ではかなり制約を受ける)で、うつ症状を伴うものとされた。
X は、入所後たびたび転倒した(医師診療録には1年間に15 回の記載がある)。施設職員は、適宜X の長男B の妻C らにX が転倒したことを連絡し、居室を職員のいるサービスステーションに近い部屋に変更したり、コールマットを敷いたり、ベッドに支援バーを設置したが、転倒を防止することはできなかった。平成21年6 月25 日時点の長谷川式認知症スケールの点数は12点で、医師診療録には幻視、幻覚、妄想等の症状についても記載がなされた。
本件介護施設の職員は、同年6 月24 日、家族に対しX を3 階の認知症専門棟に移動させることについて打診したところ、C は了承したが長女D が反対し、D は同年7 月4 日頃本件介護施設に対し、X を同月17日に退所させる旨伝えた。本件介護施設は同月6 日、Xを認知症専門棟に移動させた。Dは、同月8 日F 施設長(医師)と面談し、すでにX の退所が決まっていたこと等から、不承不承3 階への移動を了承した。
同月16 日の認知症専門棟の入所者数は54 名であり、同日夜から翌17日朝までの間は、3 名の夜勤者がXを含む10 名をホールにあるサービスステーション近くのベッドで就寝させていた。Xのベッドは夜勤者のいるサービスステーションから見通しのよい場所にあった。夜間の介護体制は、オムツ交換、体位交換のほか、1時間に1回フロアを巡回するものであったが、午前1時、午前2 時、午前3 時の巡視している時間帯や、夜勤者が入所者のトイレ誘導等の介護にあたっている時間帯には、サービスステーションに夜勤者はいなかった。
7月17日午前5 時30 分頃、X に体動があり起床したため、夜勤者G は、X が車いすでトイレに行くのに付添介助した。この際X は、「私、転んじゃったの」と述べた。Gら職員は、この時まで本件転倒事故に気づかなかった。
同日午後0 時頃、F施設長はX を診察した後、家族に病院を受診してもらうことを連絡するよう指示した。H 看護師からその旨電話で伝え聞いたC およびD は、午後4 時30 分頃、X を自動車でI 病院に連れて行った。Xは左大腿骨転子部骨折と診断された。
こうした事情の下、Xが本件介護施設を運営するY(社団法人医師会)に対し、債務不履行責任等を追求し訴えに及んだ。
判決 【請求一部認容】
1 「Yは、Xが本件介護施設入所後多数回転倒しており、転倒の危険性が高いことをよく知っていたのであるから、入所利用契約上の安全配慮義務の一内容として、Xがベッドから立ち上がる際などに転倒することのないように見守り、Xが転倒する危険のある行動に出た場合には、その転倒を回避する措置を講ずる義務を負っていた。
しかるに、Yは、平成21年7月17日未明、Xがベッドから立ち上がり転倒する危険のある何らかの行動(例えば、ベッドから出て歩行する等)に出たのに、Xの動静への見守りが不足したため(仮に職員による見守りの空白時間に起きたとすれば、空白時間帯に対応する措置の不足のため)これに気づかず、転倒回避のための適切な措置を講ずることを怠ったために、本件転倒事故が発生したというべきである。そうすると、Yは転倒回避義務に違反しており、債務不履行責任を負う。」
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2 「これらの事情、特に、本件転倒事故発生後、看護師がXの左側頭部及び左足大転子部に薬を塗布し、医師であるF 施設長が診察しており、Xの家族に対しXの状態を説明したうえ、病院を受診するよう伝え、しかも、本件転倒事故から5日後に本件骨折に対する手術が行われ、術後の経過は順調であったこと等に照らせば、本件転倒事故発生後のYの対応により本件骨折の治療が遅れたとはいえない。また、Xが本件介護施設を退所する際に車内で意識がもうろうとなったのは一時的なものであり、本件転倒事故によりXが衰弱し重篤な状態に陥ったとは認められない。そうすると、Yは本件転倒事故発生後直ちにXを医療機関に転送すべき義務を負っていたということはできない。」
裁判所は、判旨1との関係で医療費や慰謝料など207万円余の支払いをYに命じた。
(東京地裁平成24 年3 月28 日判決〔判例時報2153 号40 頁〕)
【解説】
1 はじめに
本件は、介護老人保健施設に入所中の高齢者が夜間帯に骨折した事故につき、入所利用契約上の転倒回避義務違反の債務不履行を認めた事案である。前回取り上げた身体拘束と裏腹の関係にあり、認知症入居者の介護のあり方を改めて考えさせられる。
2 転倒回避義務
本判決は、入所利用契約上の安全配慮義務の一内容として、転倒回避義務の存在を認めた。また判旨1によれば、転倒回避義務の前提として、Xへの「見守り義務」を課したかのようにみられる一方、「空白時間帯に対応する措置の不足」にも言及している。ここにいう「措置の不足」が、人員不足を指すのであれば、夜勤帯にもXの動静から片時も目を離さずに済むほどの人員配置をすべき義務を事実上課していることにもなり得る。しかし、そうだとすると、入居者の重症度によっては相当数の夜勤者を配置しなければならず、施設経営上過度な負担となり得る。そこで右の「措置の不足」とは、限られた人員で常に見守っていなくても義務違反を免れる余地を認めたものと読む余地がある。後述する4での検討も勘案すると、一定の条件の下での身体拘束なども、場合によっては許容され得ると考えるべきであろう。転倒回避義務を認めた本判決の結論は、施設側にとってやや厳しいと感じられるかもしれないが、態様および方法の面で必要最小限度の身体拘束なども含む「空白時間帯に対応した措置」の工夫の欠如につき責任が問われたものともいえよう。
事実認定によれば、本件事故のあった認知症専門棟では、事故当日、入所者54名のうち10名が居室ではなくホールのサービスステーション近くのベッドで就寝していたと認定されている。介護者にとって見通しがよいとはいえ、こうした介護のあり方自体、適切と言い得るか気になるところである。
3 事故後の対応
介護事故では、事故発生の原因とともに、事故発生後の緊急対応のあり方に係る責任が問われることがある。この点は、とりわけ死亡に直接結びつく誤嚥事故との関連で、本連載で繰り返し指摘してきた。
判旨2にあるように、本件で施設職員が本件転倒事故に気づいたのは午前5時30分頃であり、それ以後Xが何度も痛みを訴えていたものの、医師(F施設長)が診察したのは正午頃であった。さらに家族がXを連れて退所したのは午後4時30分頃であり、この間10時間以上が経過している。しかし本判決は、本件転倒事故発生後直ちにXを医療機関に転送すべき義務の存在を否定した。
本件では、施設側と一部家族(長女D)との信頼関係が欠如していたことが伺える(判旨によれば、長男の妻Cは介護の仕事をしており、施設側の対応に理解を示している)。よってF施設長が診察後、「本件介護施設側で病院に連れて行ったのでは家族が納得しないであろうから、家族に病院を受診してもらうことを連絡するよう指示した」背景には、さまざまな事情があったろうと容易に推察される。しかし、一部の家族の不信感が裁判にまで至ることは稀ではない。本件骨折の治療の遅れがなかったとしても、Xが余計に苦痛を蒙ったと認定されれば、本件転倒事故後の転送の遅れを問責されてもおかしくなかったようにみられる。
4 身体拘束の可否
本件では、Xに対する日中の身体拘束の違法も争われた。具体的には、Xに拘束する旨伝えた上で、Xを車椅子に座らせたまま、エプロン型帯またはY字帯を下腹部付近から車いす背後に結びつけて、下半身の自由を制限して立ち上がり等を制限するものであった。結論的には、緊急やむを得ずに行ったものであり、その態様および方法も必要最小限度であるから、違法ではないとした。結論はともかくとして、おそらくは前述したような一部家族との信頼関係の欠如ゆえに予め家族の同意を得なかったことも、裁判に至った一因であると推察される。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成25年1月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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