事案の概要
A(大正15 年生まれ)は、平成17 年3 月交通事故に遭い、その後言語障害を発症し、ほぼ同時に認知症の症状が出始め、入院していた病院を抜け出して徘徊するようになった。そこで、同病院の勧めにより同年4 月、社会福祉法人Y の経営する介護老人保健施設B に入所し、その後、約3 年間入退所を繰り返したが、症状は改善しなかった。平成19 年9 月に実施された「改訂版長谷川式簡易知能評価スケール」では4 点(高度)であり、B 施設に入所後も徘徊傾向があった。
平成19 年12 月29 日午後0 時30 分頃、A は2 階食堂で昼食中に居眠りをしていたため、介護員が声掛けを行い、介助して食べさせた。その後A は食堂内で過ごしていたが、所在不明となり、午後3 時10 分頃、職員が本人のひげそりを行うため居室を訪れた際に不在であったため、他の職員にも声をかけてA を探したところ、午後3 時20 分頃、浴室の湯をためた浴槽内に横向きに入っている状態のA が発見された。
職員2 名でA を浴槽から引き上げ、直ちに看護師に連絡したが、A は心肺停止状態で意識がなく、四肢末端チアノーゼ症状を呈していた。そこで、心肺蘇生施術が開始され、AED を装着するなど、救急車到着までのあいだ継続されたものの改善がみられなかった。A には熱傷のため皮膚剥離が認められた。
A は救急車で病院に搬送され、死亡が確認された。医師によれば、「致死的不整脈疑い」との診断がなされた。
以上の事実関係の下、A の遺族(子)であるX1・X2・X3 からY に対し、使用者責任(民法715 条)に基づく損害賠償を求めたのが本件である。
判決 【請求一部認容(控訴)】
「本件施設の入居者の多くは認知症に罹患していて、かつ、徘徊傾向を有しており、A も同様であったことは……認定のとおりである。しかしながら、本件事故発生当時の入居者数は34名であり、同日に勤務していた本件施設職員数は5 名であったから、これらの職員により、全入居者について間断なくその動静を見守ることは、事実上困難であったと認められる。
したがって、Y としては、適正な数の職員を配置し、入居者の動静を見守る努力を傾注するとともに、本件施設中、入居者が勝手に入り込んで利用するようなことがあれば、入居者の生命身体に危険が及ぶ可能性がある設備ないし場所を適正に管理する責任を免れないというべきである。もっとも、この危険性は、抽象的にとらえるべきではないけれども、浴室は、認知症に陥っている入居者が勝手に利用すれば、濡れた床面で転倒し骨折することもあるし、急激な温度の変化により血圧が急変したりして心臓に大きな負担がかかるのみならず、湯の温度調整を誤ればやけどの危険性もあり、さらには利用者が浴槽内で眠ってしまうことにより溺死するなどの事故が発生するおそれも認められるのであるから、具体的な危険性を有する設備に該当するというべきである。」
「しかしながら、本件浴室と隣接する浴室との間の扉は施錠されておらず……脱衣室から本件浴室へ入る扉も施錠されていなかった。仮に、これらのどちらかの扉が施錠されていたとすれば、本件事故は発生しなかったことは明らかである。そして、たとえ本件事故発生前において、A が勝手に浴室に入ろうとしたことがなく、これまで同種の事故がなかったことを前提としても、徘徊傾向を有する入居者が、浴室内に侵入することは予見可能であったというべきである。」
「Y にはX ら主張の施設管理義務違反が認められるといえるから、……A の死亡の結果につき、過失責任があると認めるのが相当である。」
(岡山地裁平成22年10月25日判決〔判例タイムズ1362号162頁〕)
【解説】
1 はじめに
本件は、重度の認知症で徘徊傾向のある入居者が行方不明となり、浴槽内で死亡しているのを発見された事案である。本連載でこれまで取り上げてこなかった新しい介護事故の類型といえる。控訴されたため確定していないものの、本判決は施設の施錠管理のあり方に一石を投じるものと考えられる。
2 施設管理義務違反
認定事実によれば、Aは施錠されていない浴室に入り給湯栓を開いて浴槽を42度前後の大量の湯でみたし、そこに入って相当時間身を沈め、不整脈を発症して死亡したと認定されている。B施設では、本件事故発生当日、廊下から浴室に入る扉は施錠されていた。その意味では、判旨でも述べられているように、入居者が浴室に入る危険性自体は認識されていたと思われる。B施設ではこのほか、リネン室、洗濯室、医務室についても施錠していたものと認定されている。ただし本件事故発生当日、隣接する浴室の脱衣室との間の仕切りドア及び浴室の浴槽への扉は施錠されていなかった。そのためAが浴槽に入るという事態が生じたのである。
本判決の説示からすると、認知症高齢者が入居する施設では、使用していない浴室の中に入居者が入らないよう施錠することが求められ、万一入居者が施錠されていない浴室内に入って事故が発生した場合、施設側の管理義務違反が問われる可能性があると言わざるを得ない。
判旨では、本件事故発生当時34名の入居者を5名の職員で介護していたことを前提として、「これらの職員により、全入居者について間断なくその動静を見守ることは、事実上困難であった」、「したがって、Yとしては、適正な数の職員を配置し、入居者の動静を見守る努力を傾注する」責任があった旨の説示も行っている。この点をそのまま捉えれば、法定の人員にとどまらない適正な職員数の配置義務にまで言及しているともみられなくはない。しかしながら、本件はあくまで入居者が施錠していない浴室に勝手に入り込んで発生した事故の事案であり、施設管理義務違反も施錠との関連でのみ論じられている(したがって本判決の及ぶ射程もその範囲にとどまる)ものと考えるべきである。
3 相当因果関係と損害
次いで本判決は、「本件事故は年末に発生したことからすれば、使用予定のなかった本件浴室内の気温は低かったと考えられるところ、そのような状態から少なくとも42度もの湯温の浴槽内に入れば、高齢のAに、体感温度の大きな変化により急激な血圧の変化が生じた可能性が高く、Aはこれにより死亡するに至った」として、Yの過失とAの死亡との間に相当因果関係を認めた。
そのうえで、損害として、@Aが平均余命(6年)生きていたならば得たであろう老齢基礎年金相当額(逸失利益)と、AAの慰謝料を認め(これらはXらに相続される)、さらにXらの損害として、B葬儀費用と、C遺族としての固有の慰謝料を認め、その合計額はXらにつき各446万円とした。
ただし、@本件事故はB施設職員が本件浴室の浴槽に湯を入れたまま放置したというものではないこと、A廊下から本件浴室に至る扉には施錠していたこと、B何よりもAが自ら本件浴室内に進入して浴槽に湯を満たして入ったことにより引き起こされたものであること等の事情に鑑みて、「損害の公平な分担の観点から、民法722条2項を準用して、A及びXらの損害のうちYに負担させるべき割合につき、3割をもって相当と認め」、Xらにつき各133万円余の賠償を命じるにとどめた。
民法722条2項は不法行為につき、被害者に過失があったときは、裁判所はこれを考慮して損害賠償額を定めることができる旨の規定である。従来の介護事故裁判例では、認知症である被害者の事案において、この規定を適用しない(すなわち認知症患者の過失は問えないと考える)ことも少なくなかった。しかし、本件事案からすれば、死亡という結果の責任をすべてYに負わせることは酷であるとも考えられる。その意味で、損害の公平な分担の見地からこの規定を(直接適用ではなく)準用し、賠償額を3割にとどめたことで、裁判所のバランス感覚を示したと言い得るだろう。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成25年2月号に掲載された記事を一部編集したものです。
月刊誌「WAM」最新号の購読をご希望の方は次のいずれかのリンクからお申込みください。