第14回:看護師が負う注意義務の水準〜浣腸後の死亡と賠償責任〜
事案の概要
A(本件当時80 歳)は、Y(医療法人)との間で、Y が運営する介護老人保健施設(本件施設)における療養介護サービスの提供を目的とする契約を締結し、1 週間程度のショートステイ利用を繰り返してきた。本件施設では、2 階と3 階をあわせて90 名ないし93名程度の利用者がおり、各階についてリーダーの看護師とフリーの看護師の2 名で約50 名程度の利用者を担当する勤務体制であった。A は、糖尿病性腎症による慢性腎不全に対し血液透析を行っていた。また認知症もあり、要介護2 の状態であった。
A は、平成21 年10 月22 日から同月27 日までの予定で本件施設に入所していたところ、同月24 日から3 日間、排便がない状態が続いた。そこで、本件施設の3 階を担当していたT 看護師は、同月27 日午前10 時35 分に座薬の下剤を挿肛した。3 階フロアの椅子に座っていたA は、午前11 時頃、立ち上がってトイレに行こうとしたので、T 看護師はA を最も近い居室内のトイレに誘導した。しかし排便がなかったため、T 看護師は一度トイレから出て休もうと声かけしたものの、A はトイレから出ようとしなかった。そこでT看護師は、同僚の看護師とも相談のうえ、A に対し浣腸をする旨伝えたが、なおもA はトイレから出ようとしなかった。そこでT 看護師は、午前11 時15 分頃、A にグリセリン浣腸(60mg)を実施した(本件浣腸)。本件浣腸は、側臥位ではなく立位で行われた。その後排便があったものの、A は痛みを訴えることなく、出血もみられなかった。
ところがA は、同日午後3 時頃以降、発熱、腹痛、嘔吐等の症状を訴えたため、同日午後7 時15 分、本件施設と同系列の病院に入院した。A は治療の甲斐なく、同月29 日午後10 時35 分、同病院で死亡した。A の死亡診断書には、直接の死因は敗血症、その原因は直腸壁内気腫と記載されていた。
以上の事実関係の下、A の弟妹らであるX らからY に対して、損害賠償を求めて出訴に及んだ。
判決 【請求一部認容】
1 注意義務違反の有無
「本件施設においては、介護保険で『要支援』又は『要介護1 ?5』と認定された者を短期入所等の対象者とし、看護師が常駐して、下剤の投与や座薬の挿肛、浣腸の実施等、一定の医療行為を行っていた。」「このような本件施設の態勢や療養介護の内容に鑑みると、本件施設で医療行為に従事する看護師に求められる注意義務の水準は、特に安全確保の面に関していえば、一般の医療機関における看護師が医療行為を行う際に求められる注意義務の水準と比較して、同程度のものと解するのが相当である。」
「平成17 年頃から、医療安全情報として、立位による浣腸の危険性が指摘され、浣腸は左側臥位を基本として慎重に実施すべきことが一般の医療施設に徐々に普及し、平成19 年以降遅くとも平成21 年10 月当時には、看護師を含めた医療従事者にとって一般的に認識されていた(なお、T 看護師も、看護学校の教育で、ベッド上で側臥位になって浣腸するよう指導されていた)。このような本件浣腸当時の浣腸の体位に関する一般的な医学的知見の内容に鑑みると、T 看護師には、本件施設においてA に浣腸を実施する際には、特段の事情がない限り、立位ではなく左側臥位で実施すべき注意義務があったと認めるのが相当である。」
「T 看護師がトイレで立位の状態でA に対し本件浣腸を実施したことについては、前記特段の事情があるとは認められず、体位の選択の点で不適切であって、注意義務違反がある。」?
2 相当因果関係
「A は、立位によって行った本件浣腸によって直腸壁に損傷を被り、その後他の因子も寄与して、当該損傷が拡大するか、穿孔に発展し、その結果、敗血症を発症して死亡するに至ったものと高度の蓋然性をもって推認されるから、T 看護師の前記注意義務違反とA の死亡との間には相当因果関係がある。」
以上のように判示し、裁判所はY に800 万円の死亡慰謝料の支払を命じた。
(大阪地裁平成24 年3 月27 日判決〔判例時報2161 号77 頁〕)
【解説】
1 はじめに
本件は、看護師が浣腸を立位で行ったことにより、直腸壁の損傷を生じ、利用者が死亡に至った事案である。入院患者に対する浣腸によって生じた医療事故に係る裁判例は他にもみられるが(東京地判平21・2・5裁判所ウェブサイト)、本件は、介護老人保健施設での事故である点で、介護事故の範疇にも含まれるものである。
2 注意義務の水準
医療事故裁判では、「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」ものとされている(最3小判平8・1・23最高裁民事裁判例集50巻1号1頁)。本判決は、本件施設が介護保険施設であることを前提として、「看護師に求められる注意義務の水準は、特に安全確保の面に関していえば、一般の医療機関における看護師が医療行為を行う際に求められる注意義務の水準と比較して、同程度のものと解するのが相当である」とした。この判示部分を素直に読むと、介護保険施設で医療行為を行う看護師に求められる注意義務の水準は、病院勤務の看護師と同程度であるということになる。
ただし、本件施設は、利用者の半数が透析患者であるという特殊な性格をもつ介護老人保健施設である点に留意する必要がある。本件施設では、透析患者は、飲水制限や除水の処置による水分不足のため、便秘状態の者が多いため、退所後に宿便によってイレウスや直腸潰瘍に陥ることを防ぐべく、できる限り本件施設の利用期間中に排便を済ませるように対応するとの方針を採っており、そうした状況下で、透析患者であるAのショートステイ利用最終日に本件浣腸を行ったものである。看護師が常駐しない特別養護老人ホームで、こうした治療を要する利用者はそもそも受け入れが困難である可能性が高いと思われ、こうした事情は多くの介護老人保健施設でも同様かもしれない。しかし、医療行為を行う際、看護師に求められる注意義務の水準が、一般の医療機関における看護師と変わりないという一般論は、肝に銘じておくべきであろう。このことは、浣腸以外の医療行為にも妥当するものである。
3 特段の事情の有無
本判決は、一般の医療機関のみならず、介護老人保健施設においても、浣腸を少なからず立位で行う慣行があることを念頭におきながらも、浣腸を立位で行った場合には、直腸の穿孔ないし損傷の危険性を高めることから、「浣腸時の体位については、原則的には左側臥位とすることが法的な注意義務の内容となるものと解した上で、浣腸実施の必要性に加えて、高度の緊急性もあり、かつ左側臥位をとることが当該患者にとって著しく困難であるといった特段の事情がある場合に限って、浣腸を立位で実施することが看護師の裁量として許される」との一般論を述べた後、本件事案との関係で検討を行っている。すなわち、@実施の必要性、A高度の緊急性、B左側臥位をとることの困難性、といった判断要素を基に、特段の事情の有無を判断している。
これらのうち、@については、Aに浣腸を実施する必要性を認めた。しかし、Aについては、本件浣腸を行った時点で、退所する夕刻までには時間があり、その場で即座に浣腸をしなければならないほどの高度の緊急性があったとまではいえないとした。さらにBについても、T看護師は、本人の様子観察を継続し、それでもなお排便できなければ、再度休憩を促したり、立位による浣腸の危険性を丁寧に説明したりすることによってベッドのある居室へ誘導するなど、左側臥位で浣腸を実施できる時機を待つことも可能であったとして、側臥位をとることが著しく困難であったとはいえないとした。
4 本判決の示唆
本判決が何度も強調しているのは、直腸の損傷ないし穿孔の危険を防止するという利用者の安全確保の優越性である。そのうえで、上記判示部分にみられるように、利用者の拒否にあったからといってすぐに対応するのではなく、きめ細かな観察や丁寧な説明などを通じたケアの実践が求められることを示唆しているのではないだろうか。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成25年5月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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