第16回:シャワー浴の実施と過失〜肺炎の発症と賠償責任〜
事案の概要
A(本件当時96 歳)は、Y(社会医療法人)設置の介護老人保健施設(Y 施設)における短期入所をたびたび利用しており、平成21 年6 月2 日から同月9 日までの間も短期入所を利用していた。A は要介護5 で、認知症により意思の疎通が困難であったものの、体調はおおむね良好であった。A の入所時の体温は35.9 度の平熱であった。
X(Aの子)が6 月8 日午後4 時頃A を訪ねたところ、B 看護師から、「37.8 度の発熱があるので入浴予定を清拭に変更しましょう」との提案があった。これに対し、Xが、「清拭は帰宅後でもできるのでリスクをなるべく避けるため中止してください」と要請したことから、清拭は実施されなかった。同日午後8 時30 分頃、A に対して解熱剤(SG 顆粒)が投与された。
翌9 日午前10 時30 分頃、A に対してシャワー浴が実施された。実施前には、担当看護師により複数回の体温、血圧、脈拍、血中酸素濃度および肺音の確認が行われ、実施に際してのA の体温は35.8 度であった。
X が同日午後0 時頃A を迎えに本件施設を訪れたところ、B 看護師からA に対してシャワー浴を実施したことが伝えられた。X とA は、午後1 時30 分頃、Y 施設を退所し帰宅した。
A は、午後3 時30 分頃、自宅において、呼吸が乱れ、体温が38.7 度に上昇するなどの症状が出たため、かかりつけの主治医の往診を受けたところ、spo2(動脈血酸素飽和度)が80%に低下していたことから、救急車でC 病院に搬送された。A は、肺炎(重症)、心不全との病名でC 病院に入院し、人工呼吸器の装着等も準備されたが、結局、人工呼吸器を使用することなく、酸素吸入や点滴等の処置により回復し、7 月7 日に退院した。A の体調はその後もおおむね安定している。
X は、A が入院中である6 月15 日、Y 施設との間でシャワー浴を実施した件について話しあうため、Y 施設のD 相談員に対し、E 施設長との面談を要請した。同月22 日、F相談員からX に対して電話があったため、X は重ねてE 施設長との面談を要請した。
X は、Y 施設から何の連絡もなかったことから、F 相談員の電話から約半年後、S 区保健福祉部介護保険課相談調整担当に相談したところ、その仲介によって、本件施設との面談が行われることとなり、平成22 年1 月22 日に面談が持たれた。Y 施設はX に対し、同年3 月25 日付けで「A 様のシャワー浴実施に関する疑義へのご回答」と題する書面(回答書)を送付した。X は、区の担当者を通じて、Y 施設との更なる面談を要望し、これを受けて同年6 月16 日及び18 日の二度にわたりX とE 施設長との面談が持たれた。
以上の経緯の下、X からY に対し、慰謝料等の損害賠償を求めて訴えに及んだ。
判決 【請求棄却】
「Y 施設の担当看護師がAに対してシャワー浴を実施するに際しては、複数回の体温、血圧、脈拍、血中酸素濃度及び肺音の確認を行っており、その際のAの体温は35.8 度であったことが認められる。そうすると、Y 施設の担当看護師は、A の前日からの発熱が収まっていることを含め、A の体調に異常がないことを確認したうえでシャワー浴を実施したものということができるから、このような担当看護師の判断ないし処置が、医療従事者として不適切なものであるということはできない。」
「担当看護師は、X がその日は清拭を中止してほしいとの意向を示したにすぎないものと受け止め、翌日の退所まで一切の入浴・清拭を断る旨の意向を示したものとは受け止めていなかったことが認められる。」「X は、6 月8 日に清拭を断った際、翌日以降の入浴等も断る意向であることを明言してはいない。また、X が清拭を中止するよう要請した際に認められたAの発熱は、シャワー浴を実施する前には治まっていて、上述したとおり、シャワー浴を実施した時点では、解熱剤の効能がA に残留していた可能性は低いのであるから、このような場合に、担当看護師において、X がA のシャワー浴を望まないとの意向を示す可能性があることを予期して、シャワー浴を実施する前にX の意向を改めて確認するべき注意義務があるなどということはできない。」
(東京地裁平成24 年10 月11 日判決〔判例集未登載。TKC 文献番号25498197〕)
【解説】
1 はじめに
本件は、シャワー浴の実施について家族と看護師の意思疎通が十分でなく、帰宅後に肺炎等を発症したことを契機として、紛争になった事案である。裁判にまで至る経過において、施設・事業者にとって興味深い素材となり得る裁判例といえる。
2 シャワー浴を実施した過失
本件において裁判所は、上記《判決》の部分で紹介したように、Aに対してシャワー浴を実施したことについて、担当看護師の判断にかかる過失を否定した。さらに続けて、「シャワー浴を実施した際、Aの発熱は治まっていたこと、シャワー浴は通常の入浴と比べ身体への負荷が少ないこと、シャワー浴が実施されたのは6月9日であり、少なくとも寒い時期ではなかったことなどからすれば、シャワー浴の実施がAの肺炎を生じさせたとか、肺炎を増悪させたとかという事実を認めることもできない。」と判示し、シャワー浴の実施と肺炎との因果関係をも否定していることを併せ読むと、認定事実を前提とする限り、本件は当初からYの損害賠償責任が認められる余地がほとんどない事案であったといえるかもしれない。ただし、こうした裁判所による簡潔な事実認定は、Xが弁護士に依頼せずに提起した本人訴訟であったことによる可能性がある。一般論として、訴訟実務に詳しくない一般人が、医療上の判断を含め訴訟で主張・立証を尽くすのは容易なことではないからである。もっとも、これも一般論として、およそ「勝ち目」のない事案であるから引き受け手の弁護士が見つからないということもよくあるケースである(本件の真相はわからないが)。
本件では、直接的には医療職である看護師の判断の適切性が問われている。しかし紛争に至るきっかけは、シャワー浴の実施についての家族と看護師の思惑に齟齬があり、その点に家族が不満を募らせたことにある。その意味で、職員が目を離している間における入所者の転倒・骨折や、食物の誤嚥など、これまで取り上げてきた多くの介護事故とは事案を異にする面がある。
医学的に問題ない以上(本判決も、シャワー浴実施前の検温〔35・8度〕時、14時間前に投与された解熱剤の効能がAに残っていた可能性は低いとし、担当看護師において解熱剤の影響を殊更に考慮してシャワー浴の実施を中止すべき注意義務を否定した)、個別の生活介護につき入居者本人の意思とは別に、どこまで家族の意向を汲まねばならないかは問題である。ただし紛争リスクを考えた場合、家族との十分な意思疎通による信頼関係の構築が重要であることは否定できない。
3 施設長との面談要請の放置
本件が裁判にまで至ったもうひとつの要因は、Aが入院中にシャワー浴を実施した件について、Xが施設長との面談を複数回要請したにもかかわらず、Y施設側が何の連絡もしなかった点にある。その後、行政が介在する形でようやく面談が実現するに至った。
この点につき本判決は、「G事務部長がXの面談要請を失念していたことは認められるが、本件において、E施設長が直接Xと面談するべき法的義務があるとまでいうことはできず、面談が実現するまでの約半年の期間が社会通念上不相当に長い期間であるということもできないのであるから、G事務部長の対応が法律上の過失を構成するものということはできない。」と判示した。
この半年のあいだの事実関係が明確でないこともあり、Yの面談要請の放置の法的評価は難しい。ただし、違法かどうかはともかくとして、利用者・家族からの苦情(面談)申出に対して、施設長が早期に対応しなければ信頼を失い、関係がこじれることは見易い道理である。またそうした苦情申出を部下任せにせず、自ら対応することこそ施設長の本来的任務といわねばならない。本件では、相談員から事務部長に情報が寄せられたものの、同部長が回答を保留したまま失念したとされているが、Y施設では苦情やヒヤリ・ハット事例などにかかる情報共有システムを構築していたのか、疑問を禁じ得ない。こうした点にかかる事実関係を明確にするためにも、本件が福祉・介護に詳しい原告側弁護士に担われていたらどうだったろうかと、若干の引っかかりを感じる事案である。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成25年7月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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