事案の概要
X(大正11年生まれの女性)は、平成16 年10月28日、デイサービスセンターV(本件介護施設)を運営するY 株式会社との間で、送迎、食事の提供、入浴介助、機能訓練等の通所介護サービスの提供を受けることを内容とする通所介護契約(本件契約)を締結し、サービスの利用を開始した。X は、平成16年当時「要支援」であったが、その後認知症が進行し、平成21年3月11日、要介護1 の判定を受けた。そのため、Y は通所介護計画を改めて策定し、X は隔週土曜に通所する際、本件介護施設に宿泊するようになった。
X は、平成21年11月29日午後4 時頃、本件介護施設で介護サービスを受けた後、Y 職員で当時本件介護施設の管理者であったB および看護師であるC の介助のもと、本件介護施設に付属する宿泊施設であるセカンドハウスW(本件宿泊施設)に移動するための送迎車両(本件車両)に乗車したが、その後B およびC が他の利用者の乗車介助を行っていた時に、自ら同車両を降車しようとして転倒した(本件事故)。
X は、本件事故の後、右足の痛みを訴えたが、外傷等の所見がみられなかったため、同日は医療機関の診察を受けることなく本件宿泊施設に宿泊した。
B は、X が翌30日朝、前日に増して足の痛みを強く訴えたため、A に状況を報告して病院で診察を受けることを勧めた。X は、同日午前10時頃に帰宅した後、P 整形外科病院に搬送された。X は、同病院で右大腿骨頸部骨折の診断を受け、同日、人工骨頭置換手術を受けるためQ 病院に入院し、同年12月2日、同手術を受けた。
X は、平成23年1月11日に後見開始の審判を受け、本件事故にあうまで同居していた息子A が成年後見人に就任した。A がX を代理し、Y に対して、債務不履行または不法行為に基づき慰謝料等の損害賠償請求に及んだ。
《判決》 【請求一部認容】
1 「本件契約においては、『現に通所介護の提供を行っているときに利用者の病状の急変が生じた場合その他必要な場合』には、Y が利用者の家族又は緊急連絡先に連絡するとともに、速やかに主治の医師又は歯科医師に連絡を取る等の必要な措置を講ずる旨が合意されており、……Y は、X が要介護1 の判定を受けたことを受け通所介護契約を改めて策定し、土曜日に通所する際は本件宿泊施設に宿泊させて介護をすることになったのであるから、こうした内容の介護を引き受けたY には、利用者であるX の生命及び身体等に異常が生じた場合には、速やかに医師の助言を受け、必要な診療を受けさせるべき義務を負うものと解される。もとより、その義務の内容やその違反があるかどうかについては、本件契約が前提とするY の人的物的体制やX の状態等に照らして判断されるべきものである。」
2 「Y は、X が本件事故により転倒し、身体の内部に生じた何らかの原因によって右足ないしは腰部に痛みを生ずる状態となったことや、その後、この症状が短時間に解消するものではなく、継続的なものであることを認識したのであるから、遅くともD がX の痛みの状態を確認した同日7 時ころまでには、医師に相談するなどして、その助言によりXの痛みの原因を確認し、医師の指示に基づき、その原因に応じた必要かつ適切な医療措置を受けさせるべき義務を負ったというべきである。」「しかるに、B は、X が、痛みを訴えながらも自力で歩行することができたことや、X 又はAから病院に連れて行くようにとの要望を受けなかったことから、このまま本件宿泊施設に宿泊させることに問題はないものと判断し、本件宿泊施設の宿直担当者であったD からX の状態についての必要な情報を得た上、医師に対してXの状態を説明してその指示を受けることは容易であったのにもかかわらず、このような措置をとることもなく、翌朝まで、X を本件宿泊施設に留め置いたことが認められるから、Y は、X に対する本件契約に基づく前記義務に違反したものと言わざるをえない。」
3 裁判所は以上のように判示し、慰謝料20 万円の限度で請求を認容した。
(東京地裁平成25年5月20日判決、判例時報2208号67頁)
【解説】
1 はじめに
本件は、これまで本連載で何度も取り上げた骨折事故の事案である。本判決の特徴は、医療機関に速やかに連絡して医師の診療を受けさせるべき義務に違反したことを捉えて、慰謝料請求を一部認容した点にある。請求額(1370万円余)のごく一部の認容額にとどまるものの、法的次元で施設側の債務不履行責任が認められたことの意義は小さくない。
2 転倒防止義務違反
本判決はまず、転倒防止義務違反の有無を判断するに際し、一般論として、「本件契約は、Yにおいて、介護保険法令の趣旨に従って、利用者が可能な限り居宅においてその有する能力に応じて自立した生活を営むことができるように利用者の日常生活全般の状況及び希望を踏まえて通所介護サービスを提供することを主な目的とするものである。」「そうである以上、Yは、本件契約に基づき、個々の利用者の能力に応じて具体的に予見することが可能な危険について、法令の定める人員配置基準を満たす態勢の下、必要な範囲において、利用者の安全を確保すべき義務を負っていると解するのが相当である。」と判示した。
そのうえで、「Y職員において、本件事故の当時、本件宿泊施設に移動するため、排尿を済ませ、忘れ物を確認した上で本件車両に乗車したXが、Y職員において他の利用者の乗車を介助するごく短時間の隙に、不意に動き出して車外に降りようとしたことについて、これを具体的に予見するのは困難であったと認められ、また、前記状況の下で、Y職員が、他の利用者のため、しばしのあいだ着席していたXから目が離れたことが、介護のあり方として相当な注意を欠くものであったということもできない」として、転倒防止義務違反を否定した。
本判決は、Xの認知症がまだ軽度で意思疎通可能であったことや、本件介護施設内で転倒したことがなかったことなどから、常時の見守り義務まで負っていたとはいえず、右の判示部分にあるようなY職員の対応に安全配慮義務違反も認められないとした。換言すれば、利用者の認知症が重度であったり転倒事故を起こした経験があるような場合、見守り義務の水準は高まると言い得るし、職員による利用者への確認の態様によっては安全配慮義務違反を問われる余地があるということでもある。
3 医師の診察を受けさせる義務違反
本判決では、本件事故後の午後6時頃、BがAに電話し、本件事故にかかる状況報告をするとともに、Xを本件宿泊施設に宿泊させる旨の方針を告げて了承を得たこと、Dは同日午後7時および午後11時頃の二度にわたり、トイレに立ったXが腰の痛みを訴えていたことを認識しており、午後9時30分頃には、Bに対しそうしたXの状態を報告していたことが認定されている。裁判所は、〔判決〕の2で紹介したように、午後7時頃までには医師の指示に基づき、その原因に応じた必要かつ適切な医療措置を受けさせるべき義務を負ったにもかかわらず、この義務に違反したものと判示した。
本件では、外傷、腫れや熱感などの異常が確認できなかったうえ、Xが、痛みを訴えつつも自力で歩行できる状態であったため、そのままXを本件宿泊施設に宿泊させる判断をするとともに、二度にわたって家族に電話をし、状況を報告している。その意味で、施設として何も対応しなかったわけではない。しかし、裁判所は、「一般的に、高齢者が転倒した際に骨折、捻挫、脱臼等の傷害を負う危険が高いことは知られており、骨折している場合には、速やかにその部分を固定して医療機関の治療を受けさせるべきであること、骨折をした場合でも患部を動かすことができる場合があることについては、高齢者の介護を担当する介護施設において当然に認識すべき知見であると解される。」「X又はAが、Xを病院に連れて行くように要望しなかったとしてもAは直接にXの状態を確認できる立場にはなかったものであるし、自らの健康状態を適切に判断できる能力があったことに疑問があるXの言動によって、Yの前記義務が解除されるものでもない」とも述べている。〔判決〕の1にあるように、本件契約に基づき介護を引き受けた以上、速やかに医師の助言を受けることが、本件のような事案では介護職員に求められるといえよう。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成26年7月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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