事例J:「歩行は常時見守り必要」という介護計画でトラブル
こんな事故が起きました!
認知症のないK さん(82 歳女性)がデイサービスで椅子から突然立ち上がり、そのまま前に転倒し大腿骨を骨折してしまいました。デイサービスでは「立ち上がる時はいつも声をかけてくれたのに、今回は突然立ち上がったので間に合わなかった」と説明しましたが、娘さんは「介護計画書に“ 歩行は常時見守りが必要” と書いてある。見守ってくれなかったから、転倒したのでしょう」と施設の責任を追及します。所長は「介護計画書は“できる限り見守る”という意味で、いきなり立ち上がれば対応できない」と主張しましたが、娘さんは市に苦情申立をしました。
事故原因と防止対策
まず、この転倒事故でデイサービス側に賠償責任が発生するのかを検証してみましょう。「自力で歩行できるが転倒の危険が高い」という利用者に対して、歩行時に職員が付き添い歩行介助を行うのが通常です。しかし、このような利用者には歩行時に職員を呼んでもらうことが前提になりますから、職員も呼ばず、いきなり自分で立ち上がってそのまま転倒すれば防ぐことはできません。ですから、実際にはKさんの転倒事故は防げませんので、厳密にいえばこの事故に過失は存在しません。
しかし、この事故では施設側に過失が存在しないのに、賠償責任は発生してしまいます。なぜなら、介護計画書に「歩行は常時見守りが必要」と書いているからです。介護計画書というのは、契約書の趣旨に従って、その利用者にあわせてどのような介護サービスを提供するのかを具体的に記載する書類のため、契約書の一部と考えられます。ですから、現実にできそうもないようなことでも介護計画書に書いてしまい、書いた通りに実行できなければ債務不履行(契約違反)となり、損害が発生すれば賠償責任が発生するのです。
このデイサービスでは、介護計画書の記載が不適切であったことを娘さんに謝罪したうえで、「立ち上がる時には職員に声をかけていただき歩行を介助する。毎回来所時に声かけのお願いをする」と書き直して、理解を得ることができました。また、この事故を教訓に他の利用者の介護計画書をすべてチェックしてみました。すると希望的観測や熱意だけで実際にはできないことがたくさん書かれており、すぐに具体的にできる防止対策に書き直しました。
デイサービスや施設では、事故防止に対する姿勢を示すために、「見守りを強化する」、「気配りを徹底する」などの曖昧な表現を使いますが、利用者や家族は言葉通りに受け取り「見守ってくれなかったから転倒したのだ」と責任を追及されてしまいます。介護現場には防げない事故がたくさんありますから、防げない事故は防げないと伝えなくてはトラブルを回避できません。
トラブルを避ける事故対応
福祉や介護の業界では、事故が起きた時に「一生懸命努力したのだけれど防げなかった」というように、心情に訴えかけて理解を得ようとする傾向があります。しかし、介護サービスも契約ですから、どのようなサービスを提供するのか具体的に示し承諾を得なければなりません。ですから、曖昧で熱意だけの防止対策では、事故が起こった時、家族から「やるべき防止対策を講じていなかったから防げなかったのだろう」と理詰めで追及されてしまうのです。できないことをやれというわけではありません。できる防止対策を丁寧に説明し、しっかり実行すればトラブルにはならないのです。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成27年5月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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