福祉国家から国民参加型社会へ
今回からは、介護の現場でどのようにICTが利用されているか、具体的な事例からみていきたいと思います。まずは、オランダでの取り組みをご紹介しましょう。オランダと聞いて、どのようなイメージを頭に浮かべられるでしょうか?チューリップ、風車、灌漑といったキーワードに加え、介護の仕事に関わっている皆さんであれば、医療や福祉、介護のサービスが充実した国というイメージがあると思います。しかし、そのオランダが今、大きく変わり始めています。
2013年4月、女王の退位に伴い、アレキサンダー国王が即位しました。その即位式には、日本からも皇太子ご夫妻が参列されたので、皆さんの記憶にも残っているのではないでしょうか。アレキサンダー国王は、即位後初めての議会演説で「20世紀型の福祉国家は終わった。国民が自助努力をする『参加型社会』へと変わらなくてはならない」と述べ、これはオランダにとって大きな転換点となりました。その頃、オランダの経済成長率はマイナス続きで、財政悪化による大規模な歳出削減を迫られていました。ヘルスケア分野も例外ではなく、より効率的で効果的な政策運営が求められることになり、ICTを活用したeヘルスへの取り組みが強化されることになったのです。
オランダのヘルスケア提供の仕組み
オランダの医療の水準は高く、欧州地域対象の調査では、長い間1位を維持しており、ヘルスケア関連費用のGDP比も欧州地域で最も高くなっています。かかりつけ医制度が導入されており、「家庭医」がプライマリケアとしての地域医療を担っています。
医療・介護は保険制度で運営されていますが、日本と異なり、民間の保険会社が国の規制を受けて定められた水準の保険を提供する仕組みをとっています。また、日本のように健康保険と介護保険という区分ではなく、大きくは短期か長期で区分されており、介護サービスの多くは「長期療養サービス保険WLZ(*1)」のもとで非営利の看護・介護組織を中心に提供されていますが、リハビリなどの医療行為は健康保険ZVW(*2)で、家事援助は自治体による社会支援法WMO2015(*3)でと、複数の関係者が関与する形となっています。
オランダでも、施設から在宅へという方向性は明確であり、介護が必要な方々の多くは在宅サービスを受けています。施設に入居するのは、要介護度がかなり高くなってからになります。
* 1 …Wet langdurige zorg
* 2 …Zorgverzekeringswet
* 3 …Wet maatschapelijke ondersteuning
高品質な在宅看護・介護を低コストで可能にするBuurtzorg
在宅看護・介護で積極的にICTを活用しているのが、在宅看護・介護組織「Buurtzorg」です。Buurtzorg の特徴は、看護師・介護士等の専門職が地域ごとに少人数の独立チームを組み、セルフマネジメントで活動することにあります。これにより、地域の実情にあったケアを、専門職が自立的に行うことができ、利用者・従業員双方の満足度も高いサービス提供が可能になっています。
このような活動を支えるのが社内サイト「Buurtzorg ポータル」です。スタッフは各自が持つタブレットからこのサイトにアクセスするだけで、ケア提供スケジュールやケア内容の管理、関連法律の変更、新しいメンバーの参加など財団内での情報共有、人材教育等のすべての活動における支援・管理ができる仕組みとなっています。基本的にクリックしていけば作業が完了するシンプルな構造で、ICTが得意でないスタッフにも「使いやすい」と好評です。さらに、活動がすべてデータ化されるため、看護・介護サービス提供の効果分析も簡単にでき、サービスの品質向上に利用されています。効率的な管理が可能なシステムによりクライアントあたりのコストは、他の事業者に比べて半分以下となっており、低コストでありながらよりよいケアの提供につながっています。
複数事業者連携による24時間看護・介護「ケア・サークル」
オランダでも、24時間看護・介護のサービス提供は、コスト面や夜間スタッフの不足といった課題から社会実装が難しいサービスですが、ICTを活用して課題解決に取り組んでいるのがSlimmer Leven 2020cooperative(SL2020)です。
SL2020は、 2012年3月に設立されたアイントフォーヘン・ブレインポート地域の80組織(自治体、企業、医療機関、介護事業者等)によるeヘルス推進のための協同組合組織です。協同組合という形にしたのは、参加組織が「当事者」として活動に参加してもらうためで、効果的で効率的なヘルスケアサービスを社会実装するために、組織の壁を越えた連携を可能にしています。ここでは、複数のプロジェクトが進行していますが、そのひとつに、地域内の特別養護老人ホーム、小規模介護住宅、生活支援や在宅介護の17組織が連携し、スマートホームによるリモートケアと夜間看護・介護を進める「ケアサークル」というプロジェクトがあります。
ケアサークルでは、地域共同モニタリングセンターを構築し、夜間看護・介護の部分で協働しています。夜間の利用者からのコールは、ここが集中して受け、さらに、コールした利用者の契約している事業者がそれぞれ対応するのではなく、利用者に最も近い場所にいるスタッフが検索され、派遣される仕組みです。これにより、各事業者が1台ずつ利用していた車を3台に減らしてコスト削減するだけでなく、365日24 時間サービスが可能になりました。緊急時にはビデオコミュニケーションにより医師との会話もでき、サービスの質向上にも成功しています。
認知症患者のためのスマートハウス「Dementiehuis(認知症ハウス)」
最新の情報技術IoTを活用して、認知症患者の自宅での自立的な生活を支援しようという試みも始まっています。2016年10月、認知症ケアに40年以上の経験を持つ大手の看護・介護組織「Tangenborgh」が認知症患者のためのスマートハウスを開設しました。
北欧風の家具が配置された一軒家で、一見、普通の家にしか見えませんが、ここに置かれている機器すべてがネットワークに接続されています。玄関ドアは、外側からは事前登録した人のみがスマートフォンで開錠できます。認知症の場合、水分補給を忘れて脱水症状になることがあるため、センサーのついた水差しは、飲んだ量や時間を記録するだけでなく、水分補給が不足している場合には、アラームでお知らせする機能がついています。服薬支援機器は、薬を飲む時間になると1回で飲む薬が1包で提供され、アラームで薬を飲むことに気づかせてくれます。薬が機器から取り出されなかった場合は、Tangenborgh の本部に情報がいき、スタッフから電話が来ます。キッチンにはコンロの熱・湯気センサー、寝室には転倒防止センサーが設置されています。IoT化した機器からの情報は、本部のプラットフォームに集約、医療の情報とあわせて管理され、認知症患者の自立を支援することになります。今後は、認知症患者の方に実際に宿泊してもらい、使い勝手を含めて研究開発を進めていくそうです。
※ この記事は月刊誌「WAM」平成29年6月号に掲載された記事を一部編集したものです。
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